慶応義塾大学・井手英策先生の提唱する「ベーシックサービス」を実現したいと考える地方議員が集い、議員連盟が発足しました。

私自身も、昨年12月の準備会から先陣を切って参加させていただいており、今回の正式な発足を大変意義深く受け止めています。

今回は規約が整備され、入会届を提出した議員は100名を超えました。初会合には約60名が参加し、参議院議員会館地下1階の会議室にて発足式が行われました。設立総会の後、改めて井手先生のご講演を拝聴する貴重な機会にも恵まれました。



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実は私は、今回の衆議院選挙を終えて、強いもやもやを抱えていました。

食料品に限った消費税をゼロにする政策は、現下の社会において必要だと考えていました。現時点においては、今もそれは必要だという思いはあります。それは、それによって月7,000円でも家計の助けになり、少しでも楽になる家庭は結構存在する、と私の現場の肌感覚があるからです。

外食を除く食料品であれば、所得による消費量の差は限定的であり、「富裕層ほど得をする」構造にはなりにくい。だからこそ、仮に5兆円規模の財源を確保してでも実施すべきだと考えていました。

しかし一方で、仮に月7,000円程度の負担が軽減されたとしても、それだけで生活の安心が大きく高まるとは言えません。将来不安が解消されるわけでもない——その現実もまた、感じていました。

だからこそ、当然、たとえ財源を確保できたとしても、ベーシックサービスを実現しない限り、「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会には到達できない。そうすると政治への不信や、「税金は取られたくない」という感情も変わらないのではないか——。だったら減税したところで、さらに物価が高くなれば、何の意味もなくなってしまうのではないか。そんな思いが、自分の中にありました。

そうした中で伺った井手先生の講演は、財源論にとどまらず、本質的な問いへと踏み込むものであり、深く胸に響きました。

講演を通じて、自分の中の考え方がゆっくりと、しかし確かに組み替えられていく感覚がありました。

特に印象に残ったのは、「税は負担ではなく、社会全体で支え合う仕組みである」という視点です。

これまで私は、頭では理解しているつもりでいながら、税をどこか「引かれるもの」として捉えていたように思います。そして国民の皆さんと向き合う中でも、その意識を十分に乗り越えられていなかったと感じています。

しかし、その税が教育や医療、介護は無償化するといったかたちでしっかりと社会に還元され、いざというときの自分たちの安心を本当に支えていると実感できるのであれば、その意味はまったく異なるものになります。

そしてそのことを、政治家自身が語らずして誰が語るのか——そう強く思いました。

ほんの少しずつ負担を分かち合うことで、誰もが大きな安心を得ることができる。そうした社会は制度として合理的であるだけでなく、人の心のあり方にも影響を与える——そのことを、先生は明快に示してくださいました。

「人生において病に倒れるなどの危機に見舞われ生活費が心配な時、『家族や自分が早く死んだほうがいい』と思わせる世の中は狂っている」、と。逆を言えば、「生活や将来への不安がやわらいだとき、人は他者に優しくなれる」——講演の底には、その確信が流れていました。


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また、「中道とは何か」という問いも強く心に残りました。

アリストテレスの「臆病と無謀の中庸は勇敢である」(足して2でわることではない) という言葉を引きながら、単なる折衷ではなく、対立を乗り越える新しい在り方こそが中道である、という指摘は極めて示唆的でした。

これまでの政治は、「弱者支援か自己責任か」「財政規律か積極財政か」といった対立の中で揺れてきました。しかし中道とは、そのどちらかを選ぶことではなく、両方を乗り越える発想です。

すなわち、「自分の喜びと他者の喜びを調和させる社会」をつくるということ。

その具体像が、所得によって扱いを変えない社会であり、ベーシックサービスの考え方なのだとあらためて理解しました。誰かを特別に救うのではなく、誰もが当たり前に支えられている状態をつくる。それは対立の調整ではなく、前提そのものを変える発想です。

今の政治は、前提を変えることに足踏みしているようにしか思えません。時代はもう変わっているのですから、ここを勇気をもって突破しなければならない、と思うのです。政治家や官僚は「持続可能性」と言いながら真逆の方向へ進んでいるとしか言えない現状だからです。


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さらに、講演の終盤で語られた「理想を語ることの大切さ」も印象に残りました。

現実性が重視される時代において、理想はしばしば「きれいごと」として退けられがちです。しかし、まさに困難な時代だからこそ、私たちは何を目指すのかを言葉にしなければならないのではないでしょうか。

税や社会保障の議論も、突き詰めれば「どのような社会に生きたいのか」という問いに行き着きます。そしてその問いに対して、臆することなく理想を掲げること。それ自体が、一つの「勇敢さ」なのだと思います。

今回の講演を通して、「いかに負担を減らすか」という視点ではなく、「どのような安心を分かち合うのか」という視点で社会を考える重要性に気づかされました。

同時に、そのような社会を本気で描くのであれば、私たち一人ひとりが理想を語る責任を引き受ける必要があるのだとも感じています。

若い人のために社会保険料を下げるとか、高齢者の医療費を上げないで済むようにするといった個別の対応だけでは、本質的な安心にはつながらない。

また、生活保護の基準を引き上げる、所得の低い方を支援する——そうした施策だけでも十分ではない。

誰もが将来直面し得る危機(病気や家計の急変など)に際して、弱者に転落しなくてよい社会があれば、多額の貯蓄がなくても安心して税を納めることができる。将来不安がないことこそが、これからを生きる若い世代にとっても、高齢者にとっても、最も重要な政策になるのだということを、理解し広げていかなければなりません。

「弱者を助ける社会ではなく、弱者を生まない社会をつくる」——井手先生のこの思想に出会ってから、弱者を救いたいという思いで政治活動を続けてきた私自身の中で、確かに“ものさし”が変わったと感じています。



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思いがけず、飛び入りで駆けつけご挨拶くださった中道改革連合・“オガジュン”こと小川淳也代表。

また、公明党・“情熱無限大” つかさ隆史参議院議員にもお会いすることができました。

どちらも私が尊敬する政治家で、お話も素晴らしく嬉しくなりました。

終了後の懇親会で井手先生と写真を撮っていただきました。

心新たに頑張りたいと思います。

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